タダより高いもの - Google のサービスについて [memo]
この Blog では度々 Google のことを書いていて,基本的に,
1. インターネットが進化して誰でも容易に情報発信することが可能となり情報は無尽蔵に溢れていき,一方で技術も進歩を遂げいずれ言語の違いなども意識せずに世界中の人とシームレスにコミュニケートできるようになるであろうこと,
2. つまり地理的な国境の概念を超え,インターネットの世界で情報を正しく整理し,新しい世界地図を描いた者が次の時代を制する覇者になるであろうこと,
3. 現時点での,その最有力候補が Google であること,
という私の考えは変わっていない.
そんな中,ある2つの記事が私の目を引いた.
1つは geek blogger の間ではおなじみの essa さん.
アンカテ(Uncategorizable Blog) - グーグルの閉店大セール=全てのサービスの有料化
もし万が一 Google が全てのサービスを有料化したら…と仮定すると,ユーザーからはものすごい怨念 (と同時にかなりの金額) を集めるだろうと述べている.そして Google がそうしない代わりに我々は Google に対してシンパシーを抱いている (「感謝」ではしっくりこないと書いてあったのでここでは「シンパシー」としてみる) と.
我々は知らないうちにグーグルに感謝していて、それが、グーグルから見て資産であれば、こちらから見たら負債であるはずだ。負債の処分を迫られて、グーグルを恨みながら金を払うと、それでイーブンになる。
--中略--
いつでも現金化できる彼らのこの資産が見えてないとグーグルの大きさを見損なう。その資産には、感謝(のようなもの?)と負債という二つの顔がある。ありがたくもあり恐くもある。二つの顔を両方意識しておくべきだと思う。
ところでこの記事のコメントには批判的な発言が多いが,彼等はこの記事の本質が分かっていない.実際に Page と Brin が今後の人生を南国のビーチで過ごすことに決めたとしても,その結果として Google がサービスを有料化しないことは書いた本人だって百も承知だ.essa さんは,我々の生活が既に Google のサービスに深く依存していること,またそれが Google に対するある種の期待感に (人によっては意識的に,でも多くの人にとっては無意識のうちに) 起因していることを示したかったのではなかろうか.数日前に Google Calendar が発表された時の blogosphere の異常なまでの盛り上がり方を思い出してみればいい.
さて,もう1つの記事はユーザーインタフェースの権威,増井 俊之さん (POBoxの産みの親,と言えば分かる方も多いのでは?).
On the Street Corner of Ubiquitous Computing: 検索エンジンからの自由
この中で彼は,essa さんとはまったく逆の主張をしている.つまりサービスが有料化されれば,ユーザーは怨念を募るのではなく,喜んで支払うだろう,と.
現在のWebビジネスにおいて広告料金の割合が異常に多いのがいけないわけで、サービスの重要性に応じて適切な課金が行なわれるようであればこういう問題は発生しないだろう。たとえば、新聞記事を読んだりWebを検索したりすることに対して適切に少額課金されるようならば、ほとんどの人は喜んで金を払うだろう。
確かに essa さんが1つ言及していない点があるとすれば,現在 Google に寄せられているシンパシー (感謝) はエンドユーザーからのもの *だけ* であるということ.同業者やレガシーメディア,あるいはビジネスパートナーから見た Google は,ユーザーの目から見たそれとはまったく違うはずである.
サービスの有料化という件に関しては,Google はこれからも エンドユーザーに *だけ* は無料で非常に質の高いサービスを提供するかもしれないし,同品質の代替サービス・製品は有料でそれよりは格安という分かりやすいところ (例えば増井さんが挙げているワープロソフト) から課金を始めてくるかもしれないし,はてなや flickr のようにちょっと使う分には無料でヘビーに使いたかったら有料という落とし所を探るかもしれない.それは Google のみぞ知ることであろう.
いずれにしても興味深いのは,一見意見が対立しているこの2つの記事の結論が,実は非常に良く似たスタンスにある,ということではなかろうか.
しかしボーっとしていると検索エンジンが神のごとくすべてを支配するようになる可能性は高いだろう。検索エンジンに頼らずに生きる方法について常々考えておくことが大事かもしれない。
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