監督ではなく,球団オーナーとしてのマネージメント - やったことがあってもなくても教えられる [management]
このブログの9年ほど前のエントリー (もうそんなにここで書いてるのか…) で,マネージメントに対する考えを示したことがあります.
それは,マネージャーは,プレーヤーとしての資質を持っていなければならない (実際にプレイングマネージャーになるという意味ではない) というものでした.野球界には「名選手,名監督にあらず」という言葉があり,それは実社会でもそのまま当てはまります.但し,その逆は真ではない.つまり,「名監督は名選手でなければいけない」と主張しました.自分が体験していないことを選手 (部下) に伝えることはできないし,自分でできもしない輩に正しく見積もることはできない,と.
心構えとして,この「名選手であること」は,今でも私にとって重要な概念です.
ただ今言えるのは,当時それを書いた時は,私に球団オーナーの視点は無かったということです.
監督であれば,名選手であるべきです.選手を教える為に,自身で技術を分かっている必要があるでしょう.しかし球団オーナーに求められるのは,「強いチーム」だけではありません.集客からグッズの販売売上,マスコットキャラクターの人気確立やファン感謝イベントまで,様々なもののトータルな成功が求められるのです.
球団オーナーは,様々な領域,多くは専門外の領域においてまで,様々な人種を束ね,結果を出す必要があります.
いくつかの領域では本当にエキスパートであり,いくつかの領域では短期間に自らエキスパートになり,いくつかの領域ではエキスパートの「ふり」ができ,いくつかの領域では,何も分からなくても他の領域の知識や経験を的確に応用でき,いくつかの領域では勘で運営しながらも結果を残し,いくつかの領域では大胆にリスクを取り,いくつかの領域では勝負を避けとことん安全な方に倒し,いくつかの領域ではデリゲーションを行い,いくつかの領域では外から最適な人材を採用し…など,領域ごとに対応内容を変え,さらにそれぞれの優先度をダイナミックに判断していく.
「やったことがあってもなくても教えられる」というハイレベルな視点の必要性.それが,監督しか見えていなかった当時と,球団オーナーまで意識できるようなった今との違いでしょうか.
ちなみに,スティーブン・R・コヴィーは,「7つの習慣」 の中で,「どの山に登るかを決める (ビジョンを示し,ゴールを定義する) のがリーダーシップであり,山を効率的にうまく登れるようにするのがマネジメント」「リーダーシップなきマネジメントは,『沈みゆくタイタニック号の甲板に椅子をきちんと並べるようなもの』」と説いています.どの領域であっても,優れたマネージャーである以前に優れたリーダーであるべき,ということは言えるのかもしれません.