2015年8月23日日曜日

人のモノをパクってる暇なんかないんですよ [memo]

オリジナリティーに本当にこだわってたら,人のモノをパクってる暇なんかないんですよ.

自分の頭の中にあるものを具現化するのに一生懸命なんですよ.

少なくとも僕はそうなんですよ.

-- 松本 人志 (今日放送のワイドナショーより)


2015年8月22日土曜日

Goodbye Summer 2015 [diary]

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2015年8月12日水曜日

40歳になりました - 不惑まであと20年 [diary]

今日で40歳になりました.
30歳になった時もそうでしたが,いざなってみると特に実感など無いものですね.

若い頃は,歳を取るのが嫌だと思っていた時期もありました.しかし近年では,私よりずっと年上でカッコいい方が沢山いること,若い方から学ぶことの方が価値が高い場合が多いこと,得ることよりも捨てることの醍醐味と難しさ…などを実感していまして,この歳ならではの感じ方も,なかなかおもしろいと思っています.


40歳は「不惑」と言われますが,そういえば先日,高城剛さんが興味深いことを書いていました.

ご質問者のご年齢がわかりませんが、40歳を「不惑」と呼ぶのは、やっと40歳ぐらいになると、惑うことなく自分の道を進むことができるようになる古くからの教え(論語)で、むしろ長寿の現代社会や惑わされることが多い情報社会では、60歳ぐらいが「不惑」なのではないか、と最近僕は考えています。

ですので、ご質問者が60歳より若いのであれば、やりたい事がなくてもいいじゃないですか。

きっと60歳ぐらいになれば、迷わずやりたいことが見つかるはずです。いまでも50歳を「知命」と呼び、やっと50歳にして天命を知るわけですから、僕の理論(高城論語)だと、それは70歳ということになるはずです。よって、ご質問者のいまの問題は、根拠なく自分の未来を「恐れ」る気持ちにあります。

今後、さらなるグローバル化が進むのは間違いなく、同じようにテクノロジーによって急速に人間の仕事も置きかわるのは事実です。

しかし、いままでとは違った良い事や楽しい事、あたらしい職や食さえも、今後次々と生まれるようになるのは間違いありません。

(中略)

大切なことは、どんな時代でも「恐れず変化を受け入れる」ことだと思います。それこそが、ご質問の「世界で生き抜いていくために必要なスキルや汎用的なスキル」そのものなのです。

ちなみに、論語では60歳は「耳順」と言われ、やっと人の話に耳を傾けられるようになる、と言われていますが、高城論語だと「耳順」は80歳ですので、僕はあと30年は人の話をロクに聞かずにやっててもオッケー!と解釈してますが、きっと間違っていると思います(笑)。

良い人の話は、若いうちからそれなりに聞きましょう。せめてフリでも(ここポイント)。

-- 高城剛 (高城未来研究所 "Future Report" Vol.198 Q&A コーナーより 「やりたい事や強みなどなく,これからの時代を生き抜いていけるのかが不安」という質問に対して)


江戸中期に日本でカフェをはじめて開いた「売茶翁」(別名:高遊外)は、60歳を超えたある日、堕落した禅宗に見切りをつけて僧侶をやめ、場所にとらわれない売茶(カフェ)をはじめました。

(中略)

素晴らしいお茶を飲みながら、禅と俗を組み合わせた「売茶翁」のハイブリッドな講話はここ以外に聴ける場所はなく、それを聞きつけた当時の文人が次第に集まりはじめました。

(中略)

この「売茶翁」を調べれば調べるほど実感しますが、人生、新しき一歩は60歳(三度目のハタチ)からで、それまで目的を決める必要もないように思います。

いまと同じように小さなバックパックを担ぎ、風光明媚な場所に出向き、我欲に溺れず、日々を楽しむだけで事足りるのです。

この週末も、お互い良い日を過ごしましょう。

-- 高城剛 (高城未来研究所 "Future Report" Vol.210 Q&A コーナーより 「高城さんが人生を通してやりたいことは何ですか?」という質問に対して)


そうか,現代社会の不惑は60歳で,この理論でいけば40歳って実はハタチなのですね.考えてみれば,確かに私は惑わされっぱなしな気もします…


「年齢を3で割って時刻に当てはめる」という方法もよく聞きますが,これだと40歳は午後1時すぎ.平日ならさてもう一仕事という所だし,週末ならさっき起きたばかりかもしれません.

40歳というと世間的にはいいオッサンですが,まだまだこれからという気もしますね.


ということで,これからも空気を読まずに,毎日を楽しんでいこうと思います.
40代もよろしくお願い致します.