2007年3月10日土曜日

憲法九条を世界遺産に - 太田光 [book]

太田 光
価格

一読の価値は充分にアリです
テーマがテーマなだけに、重くタブーとされているギリギリのところまでどうしても斬り込んでいかなくてはならないような危うさ...
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爆笑問題の太田光と宗教学者・哲学者の中沢新一の対談.
憲法九条に対する改正論が盛んになっている昨今において,それを守っていこうという主張を,「憲法九条を世界遺産に」と表現する太田のセンスは素晴らしいの一言に尽きる.

もともと本書を手に取ろうと思ったきっかけは,「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」 という,太田やゲストが様々なマニフェストを出して,議員や評論家,タレントと討論をする日テレの番組で,本書と同名のマニフェストを太田が掲げているのを見たからだった.

テレビの中の太田は,それこそ見る人が見れば滑稽なほど熱くなっていた.「俺達大人が夢を語れないでどうする」と叫び,「憲法九条は暴力を伴なわないテロだ」と主張し,反対派の石破元防衛庁長官に対して「アンタの頭は俺の高校生の頃のレベルと同じだ」とまくしたてる太田が強く印象に残っていた.

実際に太田が即興で反対派と討論し,感情のおもむくままに顔を真っ赤にしてつばを飛ばしながら喋っていたテレビに比べれば,同じ歩調の2人が対談する本書は当然落ちついたトーンであり,テレビで見た時のようなダイナミズムやインパクトには欠ける.それでも宮沢賢治の思想や,人間の愛情と資本主義 (貨幣は愛への恐怖から生まれたもの) など様々な観点からの議論は非常に興味深い.

また,太田が単純に能天気な平和主義から九条を守ろうと言っているのではなく,そこには様々な苦悩や矛盾,葛藤が伴なっていることもよく読み取れる.

少し前に別の番組で,東国原宮崎県知事 (そのまんま東) がゲストに来た時,「世間を変えるには政治家になった方がてっとり早いかもしれないが,政治で決めたことはまた別の法案で変わるかもしれない.芸で世間を変えるということは,すなわち文化を変えるということだから,政治家よりも芸人の方が偉いんだ」と太田が言っていたのを思い出す.彼が「芸」で表現せずにストレートに主張している本題に対してジレンマを感じていることも,本書の中で認めている.

好き・嫌いがはっきり分かれる芸人かもしれないが,少なくとも私は,文化人を気取るわけでもなく,勇気を持ってあくまで誠実に自身を主張し,キラリと光るセンスを持つ太田光という「芸人」が好きだ.


ところでもうすぐ花見の季節だが,本書で桜のことが非常に興味深く語られていた.

それは太田の奥さんが,体調を崩していた時に桜を見て精神的に不安定になってしまい,薔薇を病室に飾ったら気持ちが落ち着いたというエピソードだった.

太田は,満開の桜は「かつて日本人が表現していた死」だと言う.

殺すことによって得られる恍惚感・エクスタシーは確かに存在し,殺人や自殺は気持ちいいものであり,「死の魅力」は実在するということ.世間ではそれは表現してはいけないことになっており,存在すらしないことになっているということ.そして美しく咲いたまま散っていく桜こそ,その狂気に満ちた死の花であるということ.

太田曰く,桜は狂気も毒も,その美しさの中に含んでおり,その表現は隠しているが,我々の潜在意識はその狂気を感じ取ってしまうのではないか,と.だからこそ太田の奥さんは,桜を見てバランスを失い,毒を (棘によって) きちんと表現している薔薇を見て落ちついたのではないか,と.

そして太田は,憲法九条は桜であり,改正して軍隊を持つと明言することは薔薇であると言う.

「九条を守ることは,特別な国であり続けるということであり,それこそ恍惚である」「そして桜の国であり続けるということは,冒険である」という彼の言葉を,自分自身でよく考えてみようと思う.

日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する.

前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない.国の交戦権は,これを認めない.

-- 日本国憲法第九条


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