猿と人間がそれぞれ感じるインターネットの手触り感 [memo]
essa さんのブログより.
マクロ情報セキュリティと猿のままでいることのコスト - アンカテ
この表現は流石である.
猿に、「あなたは人間に進化するチャンスを逃したことで、どのような損失があったと思いますか?」と聞いても、適切な答は返ってこないだろう。
猿が人間になったことで、良かったことも悪かったことも両方あるが、そのどちらも、猿が人間を見ても認識できないものだ。猿は、おそらく、人間のことを猿の一種だと思っている。体毛がなくて動きが鈍くてアンバランスな、おかしな猿だと思っているだろう。人間は、猿に認識できないことをいろいろ始めたから人間なのだ。
古い企業がTwitterを見る時、売上高や利益や株価や従業員数を見る。非常にアンバランスなおかしな企業に見えるだろう。でも、Twitterは、古い企業に認識できないことをやっているからTwitterなのだ。
引用元は情報セキュリティについて言及したエントリーだが,情報発信できなければ情報公開も難しくなる.
猿と人間では,そもそもインターネットに対する手触り感がまったく違うのだ.
ブログ,Twitter,Facebook,Flickr…手段はともあれ,自ら情報を発信していない人,その結果そこに在る世界を,頭では理解しているつもりでも肌で感じていない人には,それが実際どんなものか,認識できないだろう.
見た目から想像する手触り感は,自分の過去の似た感覚を当てはめているに過ぎない.実際には全く違う感覚かもしれないし,そもそも過去に存在しなかったまるっきり新しい感覚かもしれない.
やっかいなのは,憖この情報革命の過渡期にいるが為に,今日社会で権力を持っている人達は,要は猿が多いということです.
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