嫌われる勇気 - 世界はシンプルであり,人生もまたシンプルである [book]
年の瀬ということもあり,今年読んだ本を思い返していたところ,その中の3冊が実は関連しており,それぞれの点が線として繋がることに気づきました.
1冊目は概念編.アルフレッド・アドラーの思想を紐解いた,「嫌われる勇気」です.アドラーの思想は私にとって非常に身近に感じられる部分もあり,また life changing な部分もあり,この本は私の宝物になるでしょう.
2冊目は応用編.スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」です.世界的に有名なこの本ですが,私にはアドラーの思想を,具体的な活動原則に落とし込んだ内容に思えます.
3冊目は実践編.堀江貴文の「ゼロ」です.彼の生き様は,まるでアドラーの思想の,具体的なインプリメンテーションのようです.
この3冊について,感想を交えた書評ではなく,内容を要約した読書メモという形で,掲載をしてみます.
本エントリーは「嫌われる勇気」について.
実はこの本で語られていることの一部に似たことを,以前 ブログに書いたこと がありました.そんな私にとって,本書は,私がボンヤリと考えていたことを,明瞭な言葉で体系的にまとめてくれた本であり,意識をしていなかった部分まで,気づきを与えてくれた本でもあります.以下,読書メモです.
【トラウマを否定せよ】
== アドラー心理学は,「原因論」ではなく「目的論」
・我々は,何かしらの「目的」に沿って生きている
・過去の原因ではなく,今の目的を考える
・だから,トラウマなどというものは,実は存在しない (フロイトを明確に否定)
・例えば,引きこもりは,不安という原因の為に,外に出られないのではない
・外に出ないという目的の為に,不安という感情を作り出している
・我々は,原因論の住人である限り,一歩も前に進めない
== 人生とは誰かに与えられるものではなく,自ら選択するもの
・自分がどう生きるかを選ぶのは自分
・あなたが不幸だとしたら,自らの手で「不幸であること」を選んだから
・あなたが変われないでいるのは,自らに対して「変わらない」という決心を下しているから
・性格や気質が自分で選んだものなら,再び自分で選びなおすことも可能なはず
・大切なのはなにが与えられているかではなく,与えられたものをどう使うか
== アドラー心理学は,勇気の心理学
・ あなたの人生は「いま,ここ」で決まる
・やりたいことがあるのに,行動に移さない人は,実際にやった時に悪い結果が出るのを恐れており,「やればできる」という可能性を残しておきたいだけ
・あなたは「あなた」のまま,ただライフスタイル (世界や自分への意味づけ) を替えればいい
・そうすれば世界との関わり方,そして行動までもが変わらざるをえなくなる
・ライフスタイルを変えようとする時,我々は大きな「勇気」を試される
【すべての悩みは対人関係】
== すべての悩みは「対人関係の悩み」である
・我々は孤独を感じるのにも,他者を必要とする
・アドラーは「人間の悩みは,すべて対人関係の悩みである」とまで断言している
== お前の顔を気にしているのはお前だけ
・劣等感は,主観的な思い込み
・主観にはひとつだけいいところがある - 自分の手で選択可能だということ
・つまり価値とは,社会的な文脈の上だけで成立している
・「劣等感」には,健全なものと不健全なものがあり,後者は区別の為に「劣等コンプレックス」と呼ぶ
・劣等コンプレックスとは,自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のこと
・本来はなんの因果関係もないところに,あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し,納得させてしまう (見かけの因果律)
・「A だから B できない」と言っている人は,A さえなければ,わたしは有能であり価値があるのだ,と言外に暗示している
・自慢する人も,劣等感を感じている
・劣等コンプレックスから,「優越コンプレックス」に発展した状態
・あたかも自分が優れているかのように振る舞い,偽りの優越感に浸ること
・わざわざ言葉にして自慢している人は,むしろ自分に自信がない
・身近な例として挙げられるのが,「権威づけ」
・権威の力を借りて自らを大きく見せている人は,結局他者の価値観に生き,他者の人生を生きている
・不幸自慢も同様
・不幸であることによって「特別」であろうとし,不幸であるという一点において,人の上に立とうとしている
・では健全な劣等感とは
・他者との比較のなかで生まれるのではなく,「理想の自分」との比較から生まれるもの
・人生は他者との競争ではない
・我々は,「同じではないけれど対等」
== 競争の怖ろしさ
・対人関係の軸に「競争」があると,人は対人関係の悩みから逃れられず,不幸から逃れることができない
・いつの間にか,他者全般のことを,ひいては世界のことを「敵」だと見なすようになる
・権力争いを挑まれたときには,ぜったいに乗ってはならない
・もしも面罵されたなら,その人の隠し持つ「目的」を考える
・直接的な面罵にかぎらず,相手の言動によって本気で腹が立ったときには,相手が「権力争い」を挑んできているのだと考える
・いくら自分が正しいと思えた場合であっても,それを理由に相手を非難しない
・ここは多くの人が陥る,対人関係の罠
・人は,対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間,すでに権力争いに足を踏み入れている
・あなたが正しいと思うのなら,他の人がどんな意見であれ,そこで完結するべき話
・敗北を認めた相手が,いさぎよく引き下がったとしても,権力争いはここで終わらない - 相手は「復讐」の段階に突入する
・たとえ敗者にならずとも,たとえ勝ち続けていようとも,競争のなかに身を置いている人は心の安まる暇がない
・誤りを認めること,謝罪の言葉を述べること,権力争いから降りること,これらはいずれも「負け」ではない
・もし対人関係を「競争」の軸で考えなかった場合,人々はどんな存在になるか
・積極的な「仲間」になっていくはず
・「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば,世界の見え方はまったく違ったものになる
== 「人生のタスク」をどう乗り越えるか
・行動面の目標
1. 自立すること
2. 社会と調和して暮らせること
・この行動を支える心理面の目標
1. わたしには能力がある,という意識
2. 人々はわたしの仲間である,という意識
・これらの目標は,「人生のタスク」と向き合うことで達成できる
・対人関係を「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つに分け,まとめて「人生のタスク」と呼ぶ
・人生のタスクとは,ひとりの個人が,社会的な存在として生きていこうとする時,直面せざるをえない対人関係
・アドラー心理学とは,他者を変えるための心理学ではなく,自分が変わるための心理学
・人は「この人と一緒にいると,とても自由に振る舞える」と思えたとき,愛を実感することができる
・劣等感を抱くでもなく,優越性を誇示する必要にも駆られず,平穏な,きわめて自然な状態でいられる - 本当の愛とは,そういうこと
== 「人生の嘘」から目を逸らすな
・アドラーは,さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して,「人生の嘘」と呼んだ
・あなたのライフスタイル (人生のあり方) を決めたのは,他の誰でもないあなた自身である
【他者の課題を切り捨てる】
== 承認欲求を否定する
・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
・自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば,いったい誰が自分の為に生きてくれるだろうか
・他者からの承認を求め,他者からの評価ばかりを気にしていると,最終的には他者の人生を生きることになる
・そして,もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら,他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」
・相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても,それが当たり前
== 課題の分離
・「これは誰の課題なのか?」という視点から,自分の課題と他者の課題とを分離する
・他者の課題には踏み込まない
・あらゆる対人関係のトラブルは,他者の課題に土足で踏み込むこと,あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされる
・誰の課題かを見分ける方法
・「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考える
・他者の課題は切り捨てよ
・「子どもこそ我が人生」だと考える親は,いつも子どものことばかり考えて,気がついたときには人生から「わたし」が消えている
・相手のことを信じることはあなたの課題
・しかしあなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは,他者の課題
・そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると,たちまちストーカー的な「介入」になってしまう
・たとえば育児の場面で,子どもがなかなか靴の紐を結べずにいる
・忙しい母親からすると,結べるまで待つよりも自分が結んだほうが早い
・でも,それは介入であり,子どもの課題を取り上げてしまっている
・そして介入がくり返された結果,子どもはなにも学ばなくなり,人生のタスクに立ち向かう勇気がくじかれることになる
・たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお,信じることができるか,愛することができるか
・アドラーの語る「愛のタスク」には,そこまでの問いかけが含まれる
== 対人関係の悩みを一気に解消する方法
・「これは誰の課題なのか?」を考え,課題の分離をして,他者の課題には介入せず,自分の課題には誰ひとりとして介入させない
・自らの生について,あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」
・一方で,その選択について他者がどのような評価を下すのかは他者の課題であって,あなたにはどうにもできない話
・課題の分離は,相手の好意を踏みにじるものではない
・「他者になにかをしてもらったら,例え自分が望んでいなくても返さないといけない」というのは,「見返り」に縛られた発想
・親の期待・希望に答えられなくてもいい
・自分の課題は,自分の人生を生きること
・それに対して親が失望したとしても,それは親の課題
・自分が自分の人生を好きに生きてはいけない理由など,どこにもない
・課題を分離することは,自己中心的ではない
・むしろ「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ,「わたし」にしか関心を持たない自己中心的な発想
・他者の期待を満たすように生きること,そして自分の人生を他人任せにすること,これは自分に嘘をつき,周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方
・独善的に構えるのでもなければ,開き直るのでもない
・ただ課題を分離する
・あなたのことをよく思わない人がいても,それはあなたの課題ではない
・「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから,好きにならないのはおかしい」と考えるのも,相手の課題に介入した見返り的な発想
・対人関係のカードは,「わたし」が握っている
・原因論で「殴られたから,父との関係が悪い」と考えているかぎり,手も足も出せない話になる
・しかし,「父との関係を良くしたくないから,殴られた記憶を持ち出している」と考えれば,関係修復のカードはわたしが握っていることになる
・多くの人は,対人関係のカードは他者が握っていると思っている
・だからこそ「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」と気になるし,他者の希望を満たすような生き方をしてしまう
・課題の分離が理解できれば,すべてのカードは自分が握っていることに気がつくだろう
・わたしが変わったところで,変わるのは「わたし」だけ
・その結果として相手がどうなるかはわからないし,自分の関与できるところではない
・他者を操作する手段として自分の言動を変えるのは,明らかに間違った発想になる
・対人関係というと,どうしても「ふたりの関係」や「大勢との関係」をイメージしてしまうが,まずは自分
・承認欲求に縛られていると,対人関係のカードはいつまでも他者の手に握られたままになる
== 本当の自由とは何か
・すなわち,自由とは,「他者から嫌われること」である
・積極的に嫌われるということではなく,嫌われることを怖れない,ということ
・他者の評価を気にかけず,他者から嫌われることを怖れず,承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり,自分の生き方を貫くことはできない
・嫌われる可能性を怖れることなく,前に進んでいく
・坂道を転がるように生きるのではなく,眼前の坂を登っていく
・それが人間にとっての自由
【世界の中心はどこにあるか】
== 対人関係のゴールは「共同体感覚」
・課題の分離は,他者を遠ざけるための発想ではなく,複雑に絡み合った対人関係の糸を解きほぐしていくための発想
・課題の分離は,対人関係の最終目標ではなく,むしろ出発点
・対人関係の「ゴール」は,「共同体感覚」
・他者を仲間だと見なし,そこに「自分の居場所がある」と感じられること
・共同体の定義は,家庭や学校,職場,地域社会だけでなく,たとえば国家や人類などを包括したすべてであり,時間軸においては過去から未来までも含まれるし,さらには動植物や無生物までも含まれる
・これはアドラー心理学の鍵概念であり,その評価についてもっとも議論の分かれるところ
・事実,アドラーが共同体感覚の概念を提唱したとき,多くの人々が彼のもとを去った
・アドラー自身,自らの語る共同体について「到達できない理想」だと認めているくらい
・前述の通り,アドラー心理学では「すべての悩みは,対人関係の悩みである」と考える
・逆にいうとそれは,幸福の源泉もまた対人関係にある,という話でもある
・そして共同体感覚とは,幸福なる対人関係のあり方を考える,もっとも重要な指標
・自己への執着 (self interest) を,他者への関心 (social interest) に切り替えていく
== あなたは世界の中心ではない
・自分にしか関心を持たない人は,自分が世界の中心にいると考えてしまう
・こうした人たちにとっての他者とは,「わたしのためになにかをしてくれる人」でしかない
・他者と接するときにも「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ばかりを考える
・所属感とはただそこにいるだけで得られるものではなく,共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られる
・具体的には,「人生のタスク」に立ち向かう
・仕事,交友,愛という対人関係のタスクを回避することなく,自ら足を踏み出していく
・なにかを与えてこそ,自らの居場所を得ることができる
・「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく,「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考える
・所属感とは,生まれながらに与えられるものではなく,自らの手で獲得していくもの
== より大きな共同体の声を聴け
・共同体の範囲は「無限大」
・例えば,定年退職をした途端に元気をなくしてしまう人
・肩書きを失い,名刺を失い,名もない「ただの人」になることが受け入れられない
・でも,これは単に会社という小さな共同体から切り離されただけに過ぎない
・誰だって別の共同体に属している
・我々のすべてが地球という共同体に属し,宇宙という共同体に属している
・覚えておくべき行動原則
・対人関係のなかで困難にぶつかったとき,出口が見えなくなってしまったとき,まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則
== 縦と横の関係,「勇気づけ」というアプローチ
・アドラー心理学では,あらゆる「縦の関係」を否定し,すべての対人関係を「横の関係」とする
・例えば,専業主婦の方に「なんの稼ぎもないくせに」とか「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」と罵る男性
・経済的に優位かどうかなど,人間的な価値にはまったく関係ない
・会社員と専業主婦は,働いている場所や役割が違うだけで,「同じではないけれど対等」
・そもそも劣等感とは,縦の関係の中から生じてくる意識
・あらゆる人に対して「同じではないけれど対等」という横の関係を築くことができれば,劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなる
・人が介入してしまうのも,背後にあるのは縦の関係
・子どもに「勉強しなさい」と命令する親などは,まさに典型
・「介入」と「援助」は違う
・援助とは,大前提に課題の分離があり,横の関係がある
・「勉強しなさい」と上から命令するのではなく,本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち,自らの力で課題に立ち向かっていけるように働きかける
・横の関係に基づく援助のことを,アドラー心理学では「勇気づけ」と呼ぶ
・人は他者からほめられるほど,「自分には能力がない」という信念を形成していく
・ほめられるということは,他者から「よい」と評価を受けている
・その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは,他者の物差し
・一方,「ありがとう」は評価ではなく,もっと純粋な感謝の言葉
・人は感謝の言葉を聞いたとき,自らが他者に貢献できたことを知る
・人は,自分には価値があると思えたときにだけ,勇気を持てる
・人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ,自らの価値を実感できる
・つまり他者に働きかけ,「わたしは誰かの役に立っている」と思えること
・他者から「よい」と評価されるのではなく,自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること
・そこではじめて,我々は自らの価値を実感することができる
・他者に関心を寄せること
・そして横の関係を築き,勇気づけのアプローチをしていくこと
・これらはすべて「わたしは誰かの役に立っている」という生の実感につながり,回りまわってあなたの生きる勇気につながる
== ここに存在しているだけで,価値がある
・その人が「なにをしたか」という「行為」のレベルで他者を見てはいけない
・寝たきりの老人は,周囲に世話をかけるだけで,なんの役にも立っていないことになってしまう
・他者のことは「行為」のレベルではなく,「存在」のレベルで見る
・他者が「なにをしたか」で判断せず,そこに存在していること,それ自体を喜び,感謝の言葉をかけていく
・我々は他者を見るとき,ともすれば「自分にとっての理想像」を勝手にこしらえ,そこから引き算するように評価してしまう
・そうではなく,ありのままのわが子を誰とも比べることなく,ありのままに見て,そこにいてくれることを喜び,感謝していく
・理想像から減点するのではなく,ゼロの地点から出発する
== 人は「わたし」を使い分けられない
・縦の関係を築くか,それとも横の関係を築くか,これはライフスタイルの問題
・人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分けられるほど器用な存在ではない
・「この人とは対等に」「こっちの人とは上下関係で」とはならない
・もしもあなたが誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら,あなたは自分でも気づかないうちに,あらゆる対人関係を「縦」でとらえている
・「A 君はわたしよりも上だが,B 君はわたしよりも下だ」「A 君の意見には従うが,B 君には耳を貸さない」「C 君との約束など,反故にしてもかまわない」というように
・逆にいえば,もしも誰かひとりとでも横の関係を築くことができたなら,本当の意味で対等な関係を築くことができたなら,それはライフスタイルの大転換
・そこを突破口にして,あらゆる対人関係が「横」になっていく
・まずは他者との間に,ひとつでもいいから横の関係を築いていくことがスタート
・誰とでも友達付き合いをする,親友のように振る舞うということではない
・意識の上で対等であること,そして主張すべきは堂々と主張すること
・「目上とはなんですか? なにが生意気な意見なのですか? 場の空気を読んで縦の関係に従属することは,自身の責任を回避しようとする,無責任な行為です」
【「いま,ここ」を真剣に生きる】
== 自己肯定ではなく,自己受容
・共同体感覚 - 自己への執着 (self interest) を他者への関心 (social interest) に切り替える為に必要ななるのが,「自己受容」,「他者信頼」,そして「他者貢献」の3つ
・我々は「わたし」という容れ物を捨てることもできないし,交換することもできない
・しかし,大切なのは「与えられたものをどう使うか」
・ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はない
・自己肯定ではなく,自己受容
・自己肯定とは,できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と,自らに暗示をかけることであり,優越コンプレックスにも結びつく発想であり,自らに嘘をつく生き方である
・自己受容とは,仮にできないのだとしたら,その「できない自分」をありのままに受け入れ,できるようになるべく,前に進んでいくこと
・肯定的なあきらめ - あきらめという言葉には,元来「明らかに見る」という意味がある
・「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める
・「なにが与えられているか」について,変えることはできないが,「与えられたものをどう使うか」については,自分の力で変えられる
== 他者信頼 - 信用と信頼はなにが違うのか
・信用とは条件つきの話
・対人関係の基礎は「信用」ではなく「信頼」によって成立している
・他者を信じるにあたっていっさいの条件をつけないこと,それが信頼
・アドラー心理学は,道徳的価値観に基づいて「他者を無条件に信頼しなさい」と説いているわけではない
・無条件の信頼とは,横の関係を築いていくための「手段」
・信頼することを怖れていたら,結局は誰とも深い関係を築くことができない
・もし,あなたがその人との関係をよくしたいと思わないのなら,ハサミで断ち切ってしまってもかまわない
・断ち切ることについては,あなたの課題
・裏切られることの恐怖を踏み越える勇気は,自己受容からくる
・「自分にできること」と「自分にはできないこと」を見極めることさえできれば,裏切りが他者の課題であることも理解できるし,他者信頼に踏み込むことも難しくなくなる
== 仕事の本質は,他者への貢献
・交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れること,それが自己受容
・そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが,他者信頼
・自分を受け入れることができて,なおかつ他者を信頼することができた場合,あなたにとっての他者とは,「仲間」という存在になる
・そして,もしも他者が仲間であれば,自分の属する共同体に居場所を見出すことにつながり,「ここにいてもいいんだ」という所属感を得ることができる
・仲間である他者に対して,なんらかの働きかけをしていくことが,「他者貢献」
・他者貢献が意味するところは,自己犠牲ではない
・むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ,なされるもの
・他者を「敵」だと見なしたままおこなう貢献は,もしかすると偽善につながる
・ここまで,自己受容,他者信頼,他者貢献という順番で解説したが,この3つはひとつとして欠かすことのできない,いわば円環構造として結びついている
== 「人生の調和」を欠いた生き方
・物事の一部分だけを見て,全体を判断しないこと
・「みんな」「いつも」「すべて」といった言葉を口癖としているようなら,注意が必要
・「仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がない」という人生の嘘
・本来は家事にも,子育てにも,あるいは友人との交友や趣味にも,すべてに関心を寄せるべき
・「仕事」とは,会社で働くことを指すのではなく,家庭での仕事,子育て,地域社会への貢献,趣味,あらゆることが「仕事」なのであって,会社など,ほんの一部にすぎない
== 幸福の定義は貢献感
・あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは,あなたではない
・それは他者の課題であって,あなたが介入できる問題ではない
・本当に貢献できたかどうかなど,原理的にわかりえない
・たとえ目に見える貢献でなくとも,「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を,すなわち「貢献感」を持てれば,それでいい
・制度としての自由は,国や時代,文化によって違うが,対人関係における自由は普遍的なもの
・もし本当に貢献感が持てているのなら,他者からの承認はいらなくなる
・人はいま,この瞬間から幸せになることができる
== 普通であることの勇気
・我々人間は「優越性の追求」という普遍的な欲求を持っている
・多くの子どもたちは,最初の段階で「特別によくあろう」とする
・しかし,特別によくあることがかなわなかった場合 - たとえば勉強やスポーツがうまくいかなかった場合 - 今度は一転して「特別に悪くあろう」とする
・特別によくあろうとすることも,あるいは特別に悪くあろうとすることも,目的は同じ
・他者の注目を集め,「普通」の状態から脱し,「特別な存在」になること
・本来,勉強であれスポーツであれ,なにかしらの結果を残すためには,一定の努力が必要
・「特別に悪くあろう」とするのは「安直な優越性の追求」
・不登校やリストカット,未成年による飲酒や喫煙なども,すべては「安直な優越性の追求」
・親や周りの大人たちが叱れば,「特別な存在でありたい」という子どもの目的は達成される
・自己受容をし,「普通であることの勇気」を持つことができたなら,世界の見え方は一変するはず
・「普通であること」と「無能であること」は違う
== 人生とは連続する刹那であり,ダンスするように生きるもの
・目標など,なくてもいい
・人生設計など不可能
・もしも人生が山頂にたどり着くための登山だとしたら,人生の大半は「途上」になってしまう
・線としてとらえるのではなく,人生は点の連続なのだと考える
・チョークで引かれた実線を拡大鏡で覗いてみると,線だと思っていたものが連続する小さな点
・線のように映る生は点の連続であり,すなわち人生とは,連続する刹那
・我々は「いま,ここ」にしか生きることができない
・それを知らない大人たちは,若者に「線」の人生を押しつけようとする - いい大学,大きな企業,安定した家庭,そんなレールに乗ることが幸福な人生なのだと
・もしも人生が線であるのなら,人生設計も可能だが,我々の人生は点の連続でしかない
・計画的な人生など,それが必要か不必要かという以前に,不可能
・幼いころからバイオリニストを夢見て猛練習に励む人生であっても,目標や計画はないのか?
・どの瞬間も,途上としての人生を生きていたのではなく,常に「いま,ここ」に生きていたのではないか
・いつも目の前の楽曲だけを見て,この一曲,この一小節,この一音だけに集中していたのではないか
・そして,プロになれなかったとしても,「途上」で終わったわけではない - 「いま,ここ」が充実していれば,それでいい
・登山の目的が「登頂すること」にあるのなら,ヘリコプターで山頂に向かい,5分ほど滞在し,再びヘリコプターで帰ってもかまわないことになる
・家から一歩出た瞬間,それはすでに「旅」であり,目的地に向かう道中もすべての瞬間が「旅」であるはず
・人生とは,いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる,連続する刹那
・そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づくようなもの
・この視点に立ったとき,人生はつねに完結している
・「いま,ここ」に強烈なスポットライトを当てよ
・舞台に立っている時,自分に強烈なスポットライトが当たっていれば,最前列さえ見えなくなる
・我々の人生もまったく同じ
・人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ,過去や未来が見えてしまう
・我々はもっと「いま,ここ」だけを真剣に生きるべき
・過去が見えるような気がしたり,未来が予測できるような気がしてしまうのは,あなたが「いま,ここ」を真剣に生きていないから
・人生は連続する刹那であり,過去も未来も存在しない
・過去にどんなことがあったかなど,あなたの「いま,ここ」にはなんの関係もないし,未来がどうであるかなど「いま,ここ」で考える問題ではない
・「いま,ここ」を真剣に生きていたら,そんな言葉など出てこない
・人生最大の嘘,それは「いま,ここ」を生きないこと
== 無意味な人生に「意味」を与えよ
・一般的な人生の意味はない
・人生の意味は,あなたが自分自身に与えるものだ
・他者貢献は,自由なる人生の大きな指針としての,「導きの星」
・この指針さえ見失わなければいいのだ,こちらの方向に向かって進んでいれば幸福があるのだ,という巨大な理想
・あなたがどんな刹那を送っていようと,たとえあなたを嫌う人がいようと,「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ,迷うことはないし,なにをしてもいい
・嫌われる人には嫌われ,自由に生きてかまわない
・そして,刹那としての「いま,ここ」を真剣に踊り,真剣に生きよう
・踊っていれば,どこかにたどり着くだろう
・世界はシンプルであり,人生もまた同じである
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