2007年8月15日水曜日

ヒロシマナガサキ [movie]

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今日が終戦記念日だからとか,先日テレビで アメリカに原爆被害の賠償金を請求します という議論を聞いたから,というわけでもないのだが,「ヒロシマナガサキ」という,原爆をテーマにしたドキュメンタリーを観に行ってきた.

アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞にも輝いた本作は,反核を訴える日系アメリカ人のスティーブン・オカザキ監督が,500人以上の被爆者に会い,実に25年をかけて完成させた渾身のドキュメンタリーである.

ナレーションなどは一切なく,解説も写真や絵を説明する必要最低限のテロップがあるだけ.14人の被爆者,原爆を投下した爆撃機の搭乗員,原爆の開発に携わった科学者などの証言が淡々と流れるというシンプルな構成だけに,妙な生々しさがあった.少なくとも,ドキュメンタリーにありがちな「ある特定のメッセージが最初からあって,作為的にそれを伝える」といった押しつけを感じることはなかった.

1つ1つのカットが非常に短く,ほんの数秒というシーンも多い.それだけに,まるでパズルのピースが散りばめられたようなフィルムであり,そこからどのような絵を完成させるかは,観た者1人1人に委ねられているのだろう.


以前,世界報道写真展を訪れた時に,こんなことを書いた.
Peace Pipe: 世界報道写真展 - 今ここで生まれた過去の歴史 [memo]

悲惨な歴史なんていうのは,それこそニュースにすらならないものも含めて,世界中にいくらでもある.ドキュメンタリー映画にしろ,今回の写真展にしろ,なぜそれをわざわざ伝えなければいけない? お金を払ってまで,なぜそれをわざわざ知りに行かなければいけない?

そもそも歴史なんていうものは,知らなければ存在しないことと同じなのだ.地球の時間の流れの中では事実として過去に起きた事象かもしれないが,それを知らなかった私という人間の中には存在しなかったものであり,それを知った時点で始めて誕生する「既に終わった過去」なのである.

だから歴史は,いつでも冷静で時として残酷だけど,同時に実はとても主観的でパーソナルなものだと思う.
--中略--
とうてい変えることなんてできない過去の事実が自分の中に誕生する瞬間と,その時に単に知識としてではなくそこから自分が感じる何かを探しに,きっと歴史に出会いに行くんだろうと.そんな気がします.


胸を圧迫する1つ1つの証言や,目を覆いたくなるような映像を見ながら,人間とはなんと脆い生き物だろうと思った.「アメリカ人が憎い」とかいう感情よりも,戦争という狂気にかられ,こんな悲劇を起こしてしまう人間の脆さが,ただ悲しかった.

これは原爆の話ではなく,「人間」のストーリーだ.


この映画は,11歳の時に終戦をむかえた母親と観たのだが,終わった後に彼女が

こんなものではとてもモノ足りない

と言ったのが忘れられない.

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