2006年4月14日金曜日

ブロードバンド先進国の高校生とケータイの在り方 [ce]

少し古い記事ですが,目にとまったもので.
アメリカの大学生より日本の高校生の方が実はかなり衝撃的

既に私の賞味期限が切れいるのではないかという不安が頭をよぎっている。もう、今の高校生の感覚についていけなくなるのではないか、時代に取り残されつつあるんじゃないか、という。

上記の「アメリカの大学生」と比べて今の日本の高校生のどこが驚異かというと、同じ事をPCではなく「ケータイ」で行っていることだ。
--中略--
PCはもはや完全に時代遅れな機器じゃないのだろうか。私はGoogleよりWEB2.0より、そっちの方が肝に銘じておかねばならん事だと思っている。


ここからのリンク先やコメントまで含めて一読の価値ありだ.
けどこれは,いつの時代でもある,いわゆる「ジェネレーションギャップ論」を今の時代の流行に合わせて語っているだけだと感じる.今の高校生だって30代になれば「最近の高校生は…」なんて言ってるだろうからだ.

結局問題なのは「若者」ではなくて,かつては「最近の若い奴等は」と呼ばれつつもその後アンテナが低くなってしまった「大人」なんだと思う.

そもそも「PC が時代遅れ」という概念が既に時代遅れだと感じてしまうのは私だけだろうか? PC は,ケータイがそうしてきたように,必要であればその姿を変えながら進化して行くだけのような気がする.高校生にとってケータイこそが姿を変えて進化した PC なのかもしれない.だからと言って,家に帰ってまで PC を使わずにケータイを使ってネットをすることが主流になるかどうかは疑問だし,例えばワンセグが普及したってテレビの需要は落ちないと思う.

確かにブロードバンドのインフラにおいては日本はアメリカなんかよりよほど進んでいるし,ケータイはとっくに「電話」の域を超えている.今後も進化の一歩を辿るだろう.でもだからこそ,ケータイは他の家電やデバイスと競合するものではなく,連携していくのではないだろうか.「コンテンツ」という概念がまずあり,そこにシームレスにアクセスする手段として家の中では テレビやPC,あるいは PS3など,外ではケータイや他のモバイル機器を使う,といった方向に進んで行くと想像している.

もちろんそれぞれの領域において,競合デバイス・サービス間の淘汰は行われていくだろうけど,そこを危惧しても仕方が無い.我々がどれだけ無駄な心配をしようと,時代は不必要なものを容赦無く切り捨てて行く.だからもし仮に将来 PC が淘汰されていくとしても,それはそれでまったく良いではないか.我々がこれだけ依存している PC が廃れるぐらい便利なモノがそこにはきっとあるんだろうから.変に構える必要は無いと思うのだ.


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