2012年1月20日金曜日

インターネットは,便利なものよりも,おもしろいものであってほしい [memo]

鋭い指摘,かつ重要な論点だと思いました.
本当に「情弱」なのは、誰? - 琥珀色の戯言

確かにアンテナは,低いよりは高い方がいいけど,高さを自慢するものではない.

引用した記事に書かれている

「情報弱者」から脱出するのに必要なのは、「ネットリテラシー」ではなくて、「信頼できる人脈」なのかもしれません。

という点には同意します.

だからこそ Google は 検索にソーシャルを取り入れようとしている し,ユーザーグラフを抱える Facebook はプラットフォームとして捉えることができる.

もう1点,

でも、何が正しいか見分けるのは、本当に難しいことだし、「ネットの中にだけ正解を求めようとする」のは、危険なことではないかと思うのです。

これもその通りだと思います.
先日書評を書いた 津田大介さんの「情報の呼吸法」でも「オフラインの情報価値が上がっている」と指摘されています.


加えて個人的に強く思うのは,以前このブログに書きましたが,

情報収集? アホか! 実はそんなことがしたかったわけではないのだ…という気がする.

(中略)

そう,インターネットからは情報ではなくインスピレーションがほしかったのだ.



情報なんて,欲しい時に検索すればすぐ手に入る時代に,なぜ収集する必要があるのでしょう.「情報収集」と構えてしまうと,なんだかまるで息苦しい.

心地良いと感じるインプットの量には個人差がある.客観的にではなく,主観的に適度なインプットを心掛け,その範囲で手に入らない情報は,元々自分には重要ではなかったんだと考える.自らアウトプットをすればインプットの質は高まるし,ブログや Twitter,Tumblr をはじめ,自己表現を助長するツールやサービスがたくさんある.

そしてさらにその枠を越えて,美しい文章や目を奪うような写真,キラキラした音楽や鳥肌が立つような感性に出会う為に,インターネットはあるんだと思いたい.

で,自分にとっておもしろいかおもしろくないか,という尺度を最後の拠り所にしておけば,情弱みたいな概念はなくなる.ステマだろうがデマだろうが,おもしろければ正義…ぐらいでもいいんじゃない?


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