Sunday, June 6, 2010

ウガンダの旅ホームステイ編 [diary]

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以前インドを旅した時に,こんなことを書いた.
Peace Pipe: Daily Festival of Human Existence - インドの旅最終回 [diary]

私には,旅について1つの信念がある.文化も風習もまったく違う国に行くことで,私はまったく新しい経験を得られるだろうが,同時に私という文化も風習もまったく違う人間に触れることで,今までそこにいた人々も新しい経験が得られるのだ.つまりそのインタラクションこそ旅の本質であり,ただの観光だけで終わってはおもしろくない.旅は旅人だけではなく,それを受け入れる側にとっても何かを与えるはずである.

人が人に出会うという事が,人生で一番大切なんだと思う.


今回ウガンダで世話になっている友人が,「興味があれば,ウガンダの家庭にホームステイできるように頼んであげる」と提案してくれた.これほどありがたく,そしてエキサイティングな話はない.もちろん断る理由など,どこにもなかった.


ここが私がホームステイした家.裏の空き地で,子供達が丸めたビニール袋をボールにしてサッカーをしていたのが印象的だった.
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そして彼女がこの家の「ママ」である.周囲からも「ママ」と呼ばれる,とてもパワフルな女性だ.ママというより「肝っ玉かーちゃん」の方がしっくり来る.それでいて,なんとも言えない包容力を持っている.
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彼女は,(もちろん良い意味で) 私を一切客人扱いすることなく,家に着くなり夕食の準備の手伝いを割り当て,それが終わると小銭を持たせて買い物に行かせた.34歳にしてウガンダで経験する,「はじめてのおつかい」である.

そんな彼女が作ってくれた家庭料理は,
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もう,涙が出るほど美味かったよ.


冒頭に続いてまたも自分の昔のエントリーの引用で恐縮だが,
Peace Pipe: ディズニーランドとは,つまり「死」の体験である [diary]

人は誰でも心の中に扉を持っていて,子供から大人に成長する過程で少しずつこの扉を閉めてきた.

例えば小さい子供が,坂道で「地面が少し傾いている」だけで楽しくてしょうがなくて,ゴロゴロ転がって遊んでいる.そこに父親がやってきて,「服が汚れるだろ!」と叱りとばす.少しずつ自分の心の扉を閉じると同時に,そのうち「地面が傾いている」ことなんかは当たり前になり,楽しむ為には「カネ」「車」「女 (男)」みたいなものが必要になっていく.

--中略--

大人になってからこの扉を開けるということは,地位や名誉を脱ぎ捨てた自分の本質と向き合うことであり,成長の過程で切り捨ててこなければいけなかった自分との再会であり,それはつまりあらゆる種類の「死」の体験なのだ.すなわち「エゴの死」や「嘘の死」「間違った考えの死」そして「飾ってきた自分の死」である.

私がこの家庭で感じたこと…ビニール袋で夢中にサッカーをする子供達や,初対面にも関わらず昔から一緒に住んでいる家族のように扱ってくれた人々は,一種の死の体験だったように思う.

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ナイル川は実に雄大だった.サファリの大自然には震えるほど感動した.首都カンパラの喧騒には圧倒された.それでも,Rainbow House の子供達しかり,この家庭の人々しかり,私にとって「アフリカの旅」といって思い出されるのは,人間の表情ばかりなのだ.

Peace Pipe: ウガンダの旅 2010
Flickr photos: ウガンダの旅 2010


2 comments:

kozuma said...

写真の子供の笑顔すごく素敵だ。。嘘みたいに純粋な笑顔ですね。飯がめっちゃうまそう!

toshi said...

屈託の無い表情を見ていると,なんだかこちらまで素直になれる気がします.

あの家庭料理は,ホント最高でした.