Saturday, August 11, 2007

アメリカに原爆被害の賠償金を請求します - 太田光 [reflection]

夜中の4時を過ぎて,録画してあった昨日の 「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」 を少し見て寝ようと思ったら,最後まで見入ってしまい,そして胸がザワザワして寝れなくなったので,こうして今文章を書いている.


この日のマニフェストは,「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」というもの.

もちろん「賠償請求をしてカネをブン取ろう」なんてことが,太田の真意ではない.「原爆というものが,必然だったとしてはいけない」というメッセージであり,先日の久間前防衛大臣の「原爆はしょうがない」発言が発端となっている.

反対派には石破元防衛庁長官や,ケント・ギルバートを始めとする4人のアメリカ人,中国人の大学教授など.


原爆投下の1ヶ月前から空爆を停止した広島への原爆投下は,原子爆弾の威力を測定する為の「実験」だった可能性が高いということ.

徹底した言論統制で,都合の悪いことは一切国民に出さず,勝てないと分かっていた戦争を辞められなかった当時の日本という国.

ロバート・ジョセフ核不拡散担当特使の「原爆投下により戦争が終わり,何百万もの日本人の命を救った」という発言.

それはアメリカの歴史の教科書にもそう書いてあり,アメリカ人にとって普通の概念であるということ.

「科学者の立場から言えば,あんな爆弾を作ったら『使ってみたい』という誘惑には勝てない」「核は無くならない.無くなるとすればもっと安くて殺傷能力が高い科学兵器が作られた時」という,とある科学者の発言.

日本軍が中国に行った無差別爆撃の被害者は,広島・長崎の被害者よりもはるかに多く,日本はそれに対する被害者からの賠償を「時効」「国家無答責」として全部却下したという事実.

広島の被爆体験者が語る,当時の壮絶な状況.

「戦争は全て自衛戦争だ」「自衛の為の戦争も全部否定するべきだ」と主張し,いつものように顔を真っ赤にして自分の信念を怒鳴り散らす太田.


…1つ1つが,とても痛かった.


番組の途中,VTR のバックに流れていたのは,清志郎さんが日本語で歌う John Lennon の「イマジン」だった.

"Japanese Lyrics by K. Imawano" とクレジットされているこの曲の最後は,原曲には無い

ぼくらは薄着で笑っちゃう
あーあ,笑っちゃう

というフレーズが何度も繰り返される.

「ジョンがあれほど平和を訴えて,こんな素晴らしい曲を作ったのに,世界はまだ戦争をしている.見ろよ,あの防弾チョッキを着た連中を… ぼくは平和を信じているから,そんなものを着ることはないし,武器も権力もない薄着ではあるけれど,それを誇りに思ってるんだぜ? ヤツらとは対象に,平和を信じているぼくらは,薄着でホント笑っちゃうよ.あーあ,笑っちゃう…」と,清志郎さんは語っているんだと,少なくとも私は解釈している.これほどこの曲の本質を,語るフレーズは無いと思っている.


番組の中で,石破が太田に対して
「原爆に限らず,東京大空襲も,全て補償しなさいとおっしゃっておられる.そうすると,日本も多くの国に対して,いろんなことをやってきた.これを全部やり直そうということは,パンドラの箱を開けたような,もうメチャクチャな…」
と言い終わらないうちに,

開けましょうよ.
開けましょうよ.
開けないからダメなんだよ.

と座った目で言い放った太田が印象的だった.


人が人を殺すことも,人が自分を殺すことも,無くなればいいと思う.


Peace Pipe: 憲法九条を世界遺産に - 太田光 [book]


6 comments:

Anonymous said...

> 人が人を殺すことも,人が自分を殺すことも,無くなればいいと思う.

「自分が人を殺すこと」は含まれないのですね。

toshi said...

前者に含まれます.
ごめんなさい,分かりにくかったですかね.

殺人 (人が人を殺すこと,戦争なども含めて) も,自殺 (人が自分自身を殺すこと) も無くなればいいと思う,という意味で書きました.

nasty said...

言いか悪いかって事って、立場によって違うでしょう。もちろん、人道的に良くなかったりすることは多いけどさ。

俺はこう思います。その戦争がなければ、俺は生まれてないかもしれない。そうしたら、こんなことを思えなかったのかもしれない。その時、直に悲しい思いをした人の本当の気持ちを理解することはできない。

人が何かをするとき、必ず何か理由がある。たとえばそれが理由はなかったという理由だとしても。死にたくはないけど、もし、自分が死んだら仕方がないと思う。

人を恨んだり、憎んだりするより、いいと思います。俺はそういうことが嫌い。

toshi said...

直に悲しい思いをした人の本当の気持ちを理解することができないからこそ,「何かある」はずの理由を,残った人たちが考える必要があるというか,少なくともその意義はあると思うんですよね.

「しょうがない」の一言で片付けられたら,それはやっぱりたまらないです.

naogym said...

以前こういうエントリを書きました。
http://naotake.fs-output.com/2007/07/post_154.html

被爆三世として、長崎の原爆病院で生まれ、ご存命の被爆症に毎日毎日何十年も苦しんできたひとたちを目の当たりにして育った自分だからこそ、憎しみから何が生まれてくるのかを考え、また、無自覚が何を育てるのかにたまらない不安を感じながら生きてます。

マクロ視点の論議ではなく、きちんと実行可能なミクロな世界平和の実践をもう一度考え直しています。
身近な人間と和解出来ているか?
「行政の連中」とか「警察の野郎」とか「マスゴミ」とか「独裁政治家の阿呆」とかでなく、それぞれが血の通った人間なのだと改めて考えて、自分にできることをひとつひとつやっていきたいと思っています。

世界平和を作っていきましょう。

なんかちょっとソレ系の人みたいなコメントになっちゃいましたけど、「何いってんだ ふざけんな 核など いらねぇ」です。

toshi said...

おー,初コメントありがとうございます!
長崎出身だったんですね.

| 平和は祈るものでも、怒りの対象にするものでもない。
| 固い信念と行動で作り出して行く物だと自覚して欲しい。
本当に,本当にその通りだと思います.

何いってんだ
ふざけんな
核などいらねぇ

とりあえず塩チョコ食べてみます.