Sunday, February 5, 2006

ディズニーランドとは,つまり「死」の体験である [diary]


今日は家族でディズニーランドに出かけた.行く度に思うことだが,つくづくここは子供よりも,むしろ「大人の為に作られた」場所だと感じる.ディズニーランドと一般的な遊園地には決定的な違いがあって,遊園地が「普段の自分のまま楽しむ」場所であるのに対して,ディズニーランドは「ある見えない扉を開けて,別の世界に飛び込んで行く」場所なのだ.

「大人が子供に戻れる場所」とでも言えば分かりやすいだろうか.でもそれだけでは片付けられないのである.もう少し詳しく話そう.

人は誰でも心の中に扉を持っていて,子供から大人に成長する過程で少しずつこの扉を閉めてきた.

例えば小さい子供が,坂道で「地面が少し傾いている」だけで楽しくてしょうがなくて,ゴロゴロ転がって遊んでいる.そこに父親がやってきて,「服が汚れるだろ!」と叱りとばす.少しずつ自分の心の扉を閉じると同時に,そのうち「地面が傾いている」ことなんかは当たり前になり,楽しむ為には「カネ」「車」「女 (男)」みたいなものが必要になっていく.

例えば小さい子供が,何気なく「ママ,あのオバサン太ってるね!」と素直に発言する.そこで母親が「シッ!! そんなこと言っちゃダメ!!」と耳元で慌てて注意する.ここでも子供は心の扉を少し閉じ,「発言する前に頭で考える」という能力を得て行く代償として,「思ったことを素直に言えなくなる」自分も少しだけ成長していく.

大人になってからこの扉を開けるということは,地位や名誉を脱ぎ捨てた自分の本質と向き合うことであり,成長の過程で切り捨ててこなければいけなかった自分との再会であり,それはつまりあらゆる種類の「死」の体験なのだ.すなわち「エゴの死」や「嘘の死」「間違った考えの死」そして「飾ってきた自分の死」である.

禅における無我の境地とはこの扉を開けることなのかもしれない.60年代のフラワームーブメントの真っ只中にいたヒッピー達は LSD を使ってこの扉を開けようとしていたんだろうし,Aldous Huxley の 「The Doors of Perception」からそのバンド名を取った The Doors は完全に「扉の向こう側」の世界を歌っていた.

そして Walt Disney が描いた世界は,まさに「扉が少し開く感覚」だと思うのだ.ちょっとした変化がたまらなく新鮮で,心から感動し,無邪気に笑っていた頃の自分との再会を,少しだけ手助けしてくれる世界.上の写真は今日のパレードからだが,「Laugh Factory」とはなんとも粋なフレーズではないか?

If the doors of perception were cleansed, everything would appear to man as it is: Infinite

-- William Blake


3 comments:

kats said...

Toshiもディズニーランドのような所行くんだね(笑)。ディズニーランドからこんな深いBlogを書けるなんて、ちょっと感動したよ。

toshi said...

ありがとう.
とにかく Walt Disney って人は,とんでもない天才で,最高に狂った奴 (褒め言葉) だと思うのよ.さらにディズニーランドはその彼の強烈なメッセージが細部に渡って表現されているという点で,とても現実世界とは思えない空間を作り出しているように思うんだ.

Anonymous said...

今更だけど、なんだか、とっても感動しました。もやもやと考えていたことを、ずばっと文章にしてもらえた喜び。ありがとうございます。